熊と私:北の大地で育まれた「野生への畏怖」

私が「熊」という存在を、単なる図鑑の中の動物ではなく、地続きの隣人として意識し始めたのは、物心がつく前のことでした。私は北海道で生まれ、人生の約20年という多感な時期をこの広大な大地で過ごしました。北海道に住む者にとって、ヒグマ(羆)は単なる野生動物ではなく、一瞬の油断で命を奪い去る圧倒的な「捕食者」としての象徴です。
私の父は、筋金入りの山菜採り愛好家でした。春になれば雪解けを待ってアイヌネギ(キトビロ)やフキを追い求め、秋になれば深い藪を漕いでラクヨウ(ハナイグチ)などのキノコを探しに山へ入ります。幼い頃の私は、そんな父の背中を追いかけて頻繁に山奥へと足を踏み入れました。
登山道として整備された道を歩く「登山」と、道なき道を彷徨う「山菜採り」は、熊との遭遇リスクにおいて決定的な差があります。視界の開けない密藪(みつやぶ)の中、足元に集中しながら進む山菜採りは、不意に熊のテリトリーへ侵入してしまう危険性が極めて高いのです。
当時はまだ「熊撃退スプレー」が一般に普及する前でしたが、私たちは常に熊鈴を鳴らし、人間がそこにいることを森に告げて歩きました。幸いなことに、20年間の北海道生活の中で直接ヒグマと対峙するような事態には至りませんでしたが、その背後には常に「彼らがいるかもしれない」という独特の緊張感がありました。あの冷たい山の空気と、どこからか見られているような感覚は、今でも私の肌に染み付いています。
その後、就職を機に関東へ移り住みましたが、自然への情熱は冷めることはありませんでした。2010年頃には、関東でも最大級の規模を誇る登山用品店に勤務することになります。そこでは、最新の登山ギアからサバイバル用品まで、多種多様な道具に触れ、多くのアウトドア愛好家と対話する日々を過ごしました。
昔は熊撃退スプレーはマイナーアイテムだった!

私が登山用品店に勤務していた2010年当時、店内の「防熊コーナー」は非常に限られたスペースでした。棚の大部分を占めていたのは、大小さまざまな熊鈴や、爆竹、ホイッスルといった「音で知らせる」ための道具です。
もちろん、当時も「熊撃退スプレー(カウンターアソールト)」は在庫として置いてありました。しかし、その存在は極めて特殊なものでした。約4年間の勤務期間中、一般の登山客がそのスプレーをレジに持ってきた記憶は、1度もありません。
当時のスプレーの立ち位置は、現在とは全く異なっていたのです。
専門職のための「特殊装備」
当時、熊スプレーを購入していくのは、決まって「仕事で山に入るプロフェッショナル」たちでした。林野庁の関係者、地質調査の技術者、あるいは野生動物の生態調査を行う研究者です。 印象に残っているのは、世界遺産・知床でフクロウの調査をされていた方との会話です。その方はこう仰っていました。
「知床の森を歩く時は、スプレーのロックを外し、いつでも発射できるように構えて歩きます。」 その言葉の重みに、私は鳥肌が立ったのを覚えています。彼らにとってスプレーは「お守り」ではなく、命を守るための「実効性のある武器」だったのです。
一般登山者にとっての「高嶺の花」と「過剰装備」
翻って、一般の登山者にとってスプレーは、1万円を超える高価な価格設定に加え、重くてかさばり、さらには「誤射したら自分も危険」というネガティブなイメージが先行するアイテムでした。「本州のツキノワグマ相手にそこまで必要ないだろう」「鈴を鳴らしていれば大丈夫だ」という楽観論が通用する時代でもあります。
当時の登山用品店での接客において、熊スプレーを積極的にお勧めすることは稀でした。むしろ、「まずは鈴を選びましょう」というのが標準的な案内だったのです。しかし、この10年でその常識は根底から覆されることになります。
なぜ熊の被害が増えた?:狂い始めた生態系の歯車

かつては「滅多に会わない、幻の動物」であった熊が、今や「里山に頻繁に出没し、市街地を闊歩する日常の脅威」へと変貌を遂げました。この急激な変化の背景には、いくつかの複合的な要因が指摘されています。
最大の理由は、シンプルかつ残酷な事実――「熊の個体数そのものが劇的に増加したこと」です。
ヒグマ:北海道の王者の倍増
北海道の調査データによれば、1990年時点でのヒグマの推定生息数は約5,000頭でした。それが2023年の最新データでは約11,600頭にまで膨れ上がっています。わずか30年余りで2倍以上に増えた計算です。 かつて北海道で行われていた「春取り(穴猟)」という積極的な駆除が廃止されたこと、そして森林環境の変化やエサ資源の分布が変わったことが、この爆発的な増加を支えたと考えられています。
ツキノワグマ:分布域の拡大と高密度化
本州に生息するツキノワグマも同様、あるいはそれ以上の深刻な状況にあります。農林水産省の分析では、この30年間で頭数は2倍以上に増加し、生息分布域は約1.4倍に広がったとされています。 例えば紀伊半島では、1998年度の調査で180頭と推定されていたのが、2024年度には467頭(2.5倍以上)にまで増加したとの報告があります。
「アーバン・ベア(都市型クマ)」の出現
なぜこれほどまでに増え、そして人里に現れるようになったのか。専門家は以下の要因を挙げています。
- 中山間地域の過疎化と耕作放棄地の増加:人間が山を管理しなくなったことで、山と里の境界線(緩衝地帯)が消滅しました。
- 学習能力の継承:人里にある農作物やゴミが「おいしいエサ」であることを学習した親熊が、その知識を子熊に継承しています。
- 人を恐れない新世代の台頭:かつてのように猟師に追われる経験を持たない熊たちが、人間を「怖い存在」と認識しなくなっています。
これらの要因が重なり、登山道のみならず、通学路や庭先といった「日常」の中に熊が侵入してくる時代になったのです。
行政の熊対策:保護から「管理」への歴史的転換

熊による人的被害や農業被害が深刻化する中、行政の姿勢も大きな転換期を迎えています。かつての日本は、絶滅の恐れがある野生動物としての「熊の保護」に重点を置いていました。しかし、今やそのフェーズは終わり、人間との共存を前提とした「科学的な個体数管理」へと舵を切っています。
北海道の強気な削減計画
北海道は2025年度からの10年間で、道内のヒグマ生息数を現在の約3分の2(7,980頭)まで減らすという計画を打ち出しました。年間約1,300頭規模の駆除を継続的に行うというものです。 しかし、現場からは悲鳴も上がっています。ヒグマの寿命は20〜30年と長く、メスは2〜3年おきに複数の子を産みます。一度増えすぎた個体群を、高齢化が進むハンターの力だけで制御するのは至難の業です。「駆除が追いつかない」というのが、現場の本音と言えるでしょう。
ツキノワグマ対策:緊急銃猟制度の創設
国レベルでも、2025年9月施行の「緊急銃猟制度」など、法的枠組みの整備が進んでいます。これまで、市街地での発砲は警察官職務執行法などの厳しい制限がありましたが、新制度では住民の生命に危険が及ぶ場合、市町村長の判断で迅速に銃器を用いた対策が可能になります。 これは、行政が「熊を殺すことへの忌避感」よりも「住民の安全」を優先せざるを得ない状況に追い込まれたことを意味しています。
個人レベルでできること:リスクを読み解く「護身」の知恵

行政や地域社会が対策を強化しても、山に入れば最終的に自分を守れるのは自分だけです。私は現在も月1回程度の頻度で各地の山を歩いていますが、10年前とは装備に対する考え方が変わりました。
現代の登山者・キャンパーに必要なのは、単なる「知識」ではなく「備え」の実装です。
熊撃退スプレーは「現代のシートベルト」

私が推奨するのは、熊の出没履歴がある程度ある場合は、「熊撃退スプレー」を携行することです。 スプレーは決して安価ではありません。
しかし、それを「高い」と感じるか「命の保険料」と感じるか。10,000円前後の投資で、もしもの時に自分や同行者の命を救える可能性が劇的に上がるのであれば、それは決して高い買い物ではありません。
実際に山で熊に遭遇した方の動画を複数見てきていますが、遭遇したからと言って必ず襲ってくる訳では無いですが、熊スプレーを持っていないと実際に対応するのが難しく、一応持っていれば万が一の遭遇でも回避できるかもしれないという心の安心に繋がると思います。
遭遇確率を低減させる「知性的な行動」
スプレーを携行する一方で、それを使わずに済むための努力も不可欠です。
- 情報の鮮度を追う:自治体の「クマ出没マップ」や、登山アプリの最新活動日記をチェックし、直近の目撃情報を把握する。
- 気配を消さない:風の強い日や沢沿いなど、こちらの音が消されやすい場所では特に注意を払う。
- サインを見逃さない:新しい糞、爪痕、木の根が掘り返された跡。これらを見つけたら、どんなに頂上が近くても「引き返す勇気」を持つ。
熊との共生とは「境界線を引くこと」
熊は熊として生きており、彼らのテリトリーを完全に奪うことも困難です。 「熊対策」の本当の意味は、人間と熊の間に、物理的・心理的な「境界線」を再び引き直すことにあると思います。ゴミを捨てない、エサを与えない、そして必要以上に近づかない。
このブログでは、私が15年以上のアウトドア経験と登山用品店での専門知識、また熊専門家の方々が発信されている情報から学ばせて頂きながら、本当に信頼できる道具と知識を発信を心がけています。

ヒグマは実物見ると本当に大きく爪もすごすぎる
(北海道の登別熊牧場)

